全ての荷物がトラックで運び出され、掃除機がかけられた後の部屋は、驚くほど静かでした。ほんの数時間前まで、ここは足の踏み場もないほどの物で溢れ返り、悪臭と混沌が支配していた場所だとは信じられないほどです。全部捨てると決めた時、私は自分の人生が空っぽになってしまうのではないかと恐れていました。しかし、何もなくなった部屋の真ん中に立ってみて、私は初めて「自分という存在の重み」を直接感じることができたのです。これまでは、積み上げられた物が私の身代わりになり、私の欠落を隠してくれていました。しかし、それらは同時に私を圧迫し、本当の私が何を望んでいるのかを分からなくさせていたのです。真っ白な壁と、傷だらけのフローリング。それだけが残った空間は、鏡のように私の内面を映し出していました。全部捨てたことで失ったのは、自分を偽るための小道具に過ぎませんでした。残ったのは、これからどう生きるかを選択できる、自由な意志を持った私自身だけです。物は一つもありませんが、私はかつてないほど「満たされている」と感じました。何も持たない自分でも、ここで生きていけるという感覚。それは、ゴミに囲まれていた頃には決して得られなかった、強固な自尊心でした。全部捨てるという経験は、私に「持ちすぎることの不自由さ」を教えてくれました。これから新しい物をこの部屋に迎え入れる時は、それが本当に自分の人生を豊かにしてくれるのか、一つ一つ自分に問いかけていこうと思います。静寂の中で、私はようやく自分自身の人生の主人になれたような気がしました。現代社会において、私たちは常に「所有すること」が幸福に直結すると刷り込まれています。しかし、ゴミ屋敷という現象は、その価値観が行き着く果ての一つの形でもあります。手に入れた物が自分を豊かにするどころか、逆に空間を奪い、時間を奪い、最終的には精神を蝕んでいく。物に支配された生活を終わらせるためには、増えすぎた枝葉を剪定するような生温い方法では足りません。根元から一度断ち切る、すなわち「全部捨てる」という選択こそが、所有という病から回復するための唯一の外科手術となります。全部捨てることで得られる最大の恩恵は、思考のクリアさです。私たちは無意識のうちに、視界に入る物全てに対して脳のエネルギーを割いています。「あれは片付けなきゃ」「これはいつか使わなきゃ」といった微細なストレスの集積が、ゴミ屋敷の住人の判断力を奪い、さらにゴミを溜め込ませる原因となります。全ての物を排除すれば、脳を占領していた無数の通知がオフになり、本当に考えるべき課題に集中できるようになります。
静まり返った部屋で見つけた自分という存在の重み