数年前まで、私の部屋は、人様に見せられるような状態ではありませんでした。いわゆるゴミ屋敷、とまではいかなくとも、床には常に物が散乱し、クローゼットは着ない服でパンパン、机の上は書類や雑貨の山。なぜそうなってしまったのか。今振り返ると、その根底には、どうしようもない「寂しさ」があったのだと思います。当時、私は仕事で大きな挫折を経験し、プライベートでも親しい友人との間に距離ができてしまい、言いようのない孤独感に苛まれていました。家に帰っても一人、週末も特に予定はない。そんな空っぽな心を埋めるように、私は買い物に走るようになりました。特に目的もなく街を歩き、目に付いた服や雑貨、本などを次々と買ってしまうのです。新しい物を手に入れる瞬間だけは、気分が高揚し、寂しさを忘れられるような気がしました。買った物は、ろくに使いもしないのに、部屋のあちこちに積み重ねられていきました。捨てる、という発想は全くありませんでした。物を手放すことが、まるで自分の存在の一部を失うような気がして怖かったのです。物がたくさんある方が、なんとなく安心できる。物が、私の寂しさを少しだけ和らげてくれる仲間のように思えていました。しかし、実際には物は何も語りかけてはくれません。増え続ける物に囲まれながらも、私の孤独感は深まるばかりでした。そして、散らかり放題の部屋を見るたびに、自己嫌悪に陥るのです。「なんて自分はダメなんだろう」と。片付けようと思っても、どこから手をつけていいか分からず、途方に暮れてしまう。そんな悪循環でした。転機になったのは、ある日、ふと本棚の奥から出てきた学生時代のアルバムを見た時です。楽しそうに笑う友人たちと自分の姿を見て、涙が止まらなくなりました。そして、「こんな部屋で、こんな気持ちで一生を終えたくない」と強く思ったのです。そこから、少しずつですが、片付けを始めました。物を一つ手放すごとに、寂しさと向き合い、過去の自分と対話するような作業でした。時間はかかりましたが、部屋が綺麗になるにつれて、不思議と心も軽くなっていきました。今でも寂しさを感じることはあります。でも、それを物で埋めようとは思わなくなりました。あの経験は、物ではなく、人との繋がりや自分自身を大切にすることが、本当の意味で心を満たすのだと教えてくれました。